幼少期に読んだ本は世界観をつくる
私は5歳くらいの頃から毎日、本を読んでいると思います。
思います、、、というのはさすがに5歳の記憶がおぼろげだからです。
そんな記憶がおぼろげな中でも覚えてるくらい大好きだったのがこの絵本2冊。
さむがりやのサンタ
この絵本では「サンタという仕事に就いた外国のおじさん」がすっごくリアルに描かれます。
仕事に愚痴を言いながらも真剣に取り組み、1日の終わりには酒を飲む。そんなおじさん。
小さい頃から私のサンタ像は完全にこのおっさんです。
我が家はサンタさんが来ないタイプの家だったのですが、だからといってサンタさんなんかいない!とは思いませんでした。
こんなおじさんが外国にいるんだなぁと思っていました。
同級生が「昨日サンタさん来た!」とか言ってるのをどう受け止めていたんだろう(笑)
うさこのサンタクロース
この絵本も大好きでした。以下うろ覚えあらすじ。
サンタさんに「赤ちゃんください」とお願いするうさこちゃん。
うさこ父は困り果てて、いろんな動物のお父さんに電話で相談します。
でも良い案は浮かばずクリスマスになってしまい、「娘をがっかりさせてしまう」とうさこ父は落ち込みます。
ところがその日にうさこちゃんの妹が生まれ、みんなは大喜びするのでした。
えっ!!
今気づいたけどこの赤ちゃんのお父さん誰なん!?うさこ父は嫁の妊娠知らんかったん…?
うさこ父も父の友だちにも妊娠かくしてたのかい?母は。
というかサンタの正体=お父さんという前提で話がはじまるのもすごい。
こんな『リアルなサンタ像』を見て育ったせいか、私はちょっと独特なサンタ観を持っています。
サンタクロースを信じてた子供たちは『サンタクロース』の真実を知ってがっかりするみたいだけど、私はそっちのほうが素敵じゃない?と思います。
だって、たった1人の超人が奇跡を起こすんじゃないんですよ。
何十億人もの大人たちが起こしてるんですよ。その奇跡。だれも特別な力なんてないのに。
子供の夢を守るために世界中の大人たちががんばっているんだなぁって思うと優しくてあたたかい気持ちになれます。
人生初の漫画はたぶんコレだ
クッキングパパ
チャチャチャチャーシューメン!めんたいこ!コンビーフ!
私はマンガが大好きなんですけど、初めてのマンガはおそらくクッキングパパ。
私が読んでたの89巻までくらいなのですが、最近162巻でちいかわとコラボしてて ワ… ってかんじだし フッ…! ってかんじです。驚きのコラボ…ってコト!?
内容はまったくちいかわ感はなく、サラリーマンのお父さんが家族に手料理をふるまう話です。
こちらのお父さん、とっても家族思いで料理にすごく愛情がこもっているんですよね。
家族愛みたいなものを最初に学んだのはこの漫画かもしれません。
3姉妹の真ん中っ子「りぼん」「なかよし」ずっと読んじゃう
私は3姉妹の真ん中なのですが、姉が「なかよし」を買い始めたころ「りぼん」を買ってくれ!といい、「りぼん」は4歳下の妹がやめるまでずっと読んでいました。
下手したら10年近く、、、?
「なかよし」を買い始めたきっかけがこちら。
魔法騎士レイアース
1990年代に流行っていた異世界転移モノの漫画です。
この漫画の最終回は「こんなのって…こんなのってないよー!!」と言いながら主人公が号泣して終わります。
当時Twitterがあったら阿鼻叫喚だったに違いない。(第二部でハッピーエンドを迎えますが)
この漫画知らないっていう方も同じ作者のCLAMPが描いたこちらは見たことがあるかもしれません。NHKでアニメ化して大ヒットしたので。
カードキャプターさくら
こっちは魔法少女系です。
プリキュアみたいな感じです(全然違う)
この漫画のすごいところは恋愛観の多様性です。
ほんとに1996年の漫画か?って思います。
ざっくり人間関係を説明するとこんなかんじ。
主人公のさくらちゃんはお兄ちゃんの男友達が好き(ここまではよくある)
だけどこの男はお兄ちゃんが好きだし、しかも両想い。お兄ちゃんが恋のライバル…。
さくらちゃんの未来の彼氏はお兄ちゃんの男友達に一目惚れし、初期は主人公の恋のライバル。
さくらちゃんの女友だちはさくらちゃんが好き。
他にも小学校の男性教師が小学生の女の子と付き合っていたり、小学校の女性教師が小学生の男の子と付き合っていたり。
これを『恋愛』という枠でくくられていたら受け入れがたい部分があったのかもしれませんが、作中でキャラが『いちばん好きな人』と表現することでふーんわり受け入れられちゃうふしぎ。
この作品のおかげで恋愛=異性という偏見から解き放たれました。レリーーーーズ!!
『なかよし』はCLAMP作品が激熱でしたが、どちらかというと私はりぼんっ子。
1994年~2005年までの作品はたぶん全部読んでます。
『りぼん』の史上最高発行部数は1994年の255万部だったそうなので、『りぼん』がいちばん勢いがある時でした。
この時期の『りぼん』は名作のオンパレード。
ご近所物語、ケロケロちゃいむ、ベイビィLOVE、グッドモーニングコール、神風怪盗ジャンヌ、GALS!、パートナー、愛してるぜベイベ…うーんいっぱい。
中でも影響を受けたのがこちら。
こどものおもちゃ
通称『こどちゃ』は何回読み直したか知れない名作です。
私の人生を変えた漫画ランキングTOP10に入ります。
主人公は小学校6年生の女の子サナちゃん。明るくて優しくて強い女の子。
ヒーローは同級生の羽山くん。最初は手が付けられないいじめっ子です。
このいじめのレベルがまぁまぁやばい。羽山くんは男子の集団に命令して女の子を池で溺れさせたり、担任の先生の弱みを握って逆らえないようにして学級崩壊させたりします。
サナちゃんはこの学級崩壊を止めようとする中で、羽山くんが「死にたい」って思うほど家庭に居場所がなくて苦しんでいることを知ります。
サナちゃんは持ち前の明るさと優しさで羽山くんの心の傷をだんだん癒していきます。
そしてサナちゃんが傷ついた時には羽山くんが助けてくれるようになります。
この漫画は結構重いテーマがもりだくさん。
いじめ・学級崩壊・家庭崩壊・未成年の出産・殺人未遂・心の病気などなど、、、
サナちゃんには「どんな時も悲劇のヒロインにならず明るく乗り越えようとする姿勢」を学びました。
夢いっぱいでキラキラな恋愛が描かれる、非現実的な少女漫画ではないので男性にもオススメ 。
国語の教科書も大好きだった
私は国語が大好きな子供でした。国語の教科書の内容もほとんど覚えていると思います。
国語の教科書は『スイミー』とか『スーホの白い馬』や『エルマーのぼうけん』など絵本からの出典も多いですよね。
私の家は漫画はいっぱいあったのですが、絵本は少なかったので国語の教科書や学校の図書館で絵本や児童書をたくさん読みました。
『おれはかまきり』とか『わたしと小鳥とすずと』なんかの詩も好きで今でも全文覚えています。
国語の授業って「作者が伝えたいことはなにか?」とか「この時の人物の心情は?」とか本をただ読むだけでなく、「問い」を発見して考えることを教えてくれます。
しかも、この謎解きを先生という大人が手伝ってくれる。
すっごく楽しかったですね。
読書の喜びは何倍にもなり、漫画の読み方も変わりました。
漫画ってワクワクとかドキドキとかのエンタメの要素が強いので、国語を習う以前は純粋にエンタメとしてのみ楽しんでいました。
今も1回目読むときは純粋にエンタメとして読みますが、2回目以降は国語的な読み方をします。
「作者が伝えたいことはなにか?」「この時のキャラの心情は?」とか色々考えながら読みます。
だから同じ本を読んでも、また違う発見があって楽しい。
読書って楽しいなーって思っていた私は中学校1年生の国語の授業でこの作品と出会います。
「少年の日の思い出」
タイトルでピンとこない方も「エーミール」とか「クジャクヤママユガ」は覚えているんじゃないでしょうか?
この作品を初めて読んだときの感想は
「は?」
です。
そう。さっぱり理解できなかったのです。
いや、書いてある内容はわかる。
でも「何が言いたいんだ、、、?」って感じ。
この話はタイトル通り語り手である『僕』の少年時代の思い出が語られます。
「僕」は蝶や蛾の標本を作るのが大好きな少年だった。
でもお家が貧しくて標本箱はボール紙で手作り、、、お友達に見せるのはちょっと恥ずかしい。
一方、お隣に住んでる同級生のエーミールは非の打ち所がない模範的少年。
エーミールも蝶や蛾の標本を作るのが好きで、持っているコレクションは他の同級生にも一目を置かれるほど。標本を作る技術も素晴らしかった。
「僕」はこの完璧すぎる少年に憧れながらも、妬ましく、気味悪く思っていた。
ある日、エーミールがクジャクヤママユガという珍しい蛾を羽化させたことを聞いた僕はエーミール宅を訪ねる。
エーミールは不在だったが、どうしても珍しい蛾が見たい「僕」はこっそり部屋に侵入。
蛾を見ることが叶うと、今度はよく見たくなり手に取る。
手に取ることが叶うと今度は欲しくなり、蛾を部屋から持ち出してしまう。
その時、誰かの足音で我に返った「僕」は思わず蛾をポケットにねじ込む。
自分が盗みを働こうとしたことに気づき、蛾を戻そうとすると蛾はポケットの中で潰れてしまっていた。
家に帰り、母親に罪を告白すると、母親は「僕」が自分のしてしまったことで苦しんでいることを察してくれ誠心誠意の謝罪をして弁償を申し出るようすすめた。
ここまではいいんですよ。
なんならたぶんここまでは面白く読んでいました。
「僕」が蛾のために不法侵入しちゃうところなんかドキドキして
「だめだよ~!やめろ~!やめるんだ~!」ってハラハラしちゃいます。
結果、蛾がボロボロになっちゃってがっくし。
「大変なことになっちゃったな、、、そんなつもりじゃなかったのにね、、、。」
と「僕」に感情移入しまくり。
問題は結末部分。
「僕」はエーミールにありのままを告白すると、エーミールは怒りもせず「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」と「僕」を軽蔑する。
「僕」は償いに自分の標本もおもちゃもすべて譲るように申し出るが、エーミールは蝶や蛾を大切に扱えない奴のものなど欲しくないと拒絶。
なんの償いもさせてもらえず、ただ軽蔑のまなざしに耐えることしかできなかった「僕」は家に帰って大切な標本を1つ1つ指で粉々に押しつぶした。
えええ~!!??
この結末にこんなに驚いていたのはあの教室で私だけだったのでしょうか?
とんでもびっくりしました。
「許してやれよ!エーミール!!」とエーミールにムカつきもしました。
そう。大人になれば分かるのですが、エーミールは何も悪くない。
大人の世界で当てはめてみれば、エーミールのほうが被害者です。
大事に大事に手をかけてきた宝物を修復不可能なまでにぶっ壊されてますからね。
あの時はムカついてごめんね。エーミール。
今では君のワードチョイス大好きだし、
「非の打ち所がない少年」だから絶対イケメンなことにも気づいたよ。好き。
今見ればエーミールはただ大人びているだけのイケメンなんですが、なんであの時あんなにムカついたかというと「私のほうが子供だったから」なんですよね。
子供の頃って「悪い事をしたら謝ろう」そして「謝ったら許してあげよう」って教えられるじゃないですか。
それが「正しい」んだと思っていました。
だって大人は子供にそれを強要してくるじゃないですか。
大人が用意した「仲直りのシナリオ」を演じさせてくる。
私だって悔しい思いをしながらそのシナリオを演じさせられてた。
納得してないのに謝ったり、許したりしなくちゃいけなかったのに。
だから、そのシナリオから逸脱したエーミールが悪い子に見えたわけです。
でもそれは子供のシナリオだったんだなぁ。
まだ自分が起こした出来事の責任をとらなくてもいい、とることができない子供のために大人たちが作ったシナリオ。
エーミールは「僕」と同い年でありながら精神的に大人なので、この子供のシナリオを持つ「僕」の目から見ると悪い子に見えるんですよね。
私もこの話を読むまでは子供のシナリオを持っていた。
何をしてもすべて許される子供の世界にいた頃の自分を思い出してこの文章を読んでみて欲しい。
僕は悪漢だということに決まってしまい、エーミールはまるで世界のおきてを代表するかのように、冷淡に、正義を盾に、侮るように、僕の前に立っていた。彼は罵りさえしなかった。ただ僕を眺めて、軽蔑していた。
そのとき初めて僕は、一度起きたことは、もう償いの出来ないものだということを悟った。
いや、エーミールめちゃめちゃ怖くないですか?
これを中1に読ませる大人たち、中々センスあるな。
小学校で教えたこと、一度ぶっこわしてくるもん。そんなんできひんやん。普通。
先生たちは「ようこそ☆大人の世界へ☆」とニンマリしていたに違いない、、、。
そう。この話は「僕」が大人になる話なのです。
そしてこの時の「僕」は12・13歳。
中学校1年生だった私と同い年くらいの時。
この時に読むからこんなに深く心に残っているんだろうなぁ。
この話を読むことは子供から大人になる通過儀礼だということなんでしょう。
8割の中学生が教科書で学ぶそうです。
そんなに多くの人に読まれてるのにこんなに心が痛くなったの私だけだったのかなぁって思ってたけど、今回記事を書くにあたって「少年の日の思い出」を検索したら
「少年の日の思い出 トラウマ」とキーワード予測が出てきた。
ありがとう。インターネット。
私はひとりじゃなかった。
ありがとう。エーミール。
君が私に植え付けたトラウマのおかげで子供時代に大きな罪を犯さずに大人になれた。
ありがとう。国語の先生。
あの時期の私にこの話を教えてくれて。
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